ponbooのブログ

夫婦二人で障害者年金で生活


主人の会社は借り上げ社宅なので28000円で60へーべーまでの広さの賃貸に住めます。平成3年、新婚生活から10年以上、駅から三分の賃貸マンションに住んでました。当時とても静かで日当たりも良く、2人共気に入ってました。主人の会社は転勤が多いので、家賃補助がありました。転勤は日本中、海外、ブラジル、シンガポール、アメリカ、ヨーロッパ、数え切れない程、いつどこに行くか社員はいつもドキドキで3年間毎年転勤した人もいて、しかし主人は元気な時は珍しく移動だけで転勤は免れてました。会社の社員の半分以上の人は定年まで賃貸で過ごす人が多かったです。主人はいつも家は買わず、旅行や趣味を楽しもうと言うのが口癖で私も同感でした。しかし平成15年から7か月長期休暇の後、社会復帰をして平成16年は土地の値段が大幅に下がったという事で主人が今年家を買いたいと言い出したのです。その年に家を買った方は多いと思います。でも私は猛反対しました。やっと社会復帰をして身体が心配、また躁状態になったかと思ったからです。主人が中古でも良いから家が欲しいと色々な不動産に行って来ました。もし会社を辞めたら住むとこがない。定年後家を買うなら長く住めないと言いました。当時住んでいた賃貸の土地が住み慣れていたので近くの中古家を見に行きました。安い家は駐車場も無くて庭を工事するとお金がかかる。マンションも見に行きましたが管理費や駐車場、家の保険料が高い、建て売りは隣との間が近すぎる。こういう場合お金持ちなら幾らでも好きな家に住めるのですが、うちは違う。どこも買う家が見つからず、疲れて来て諦めていた時
近くの設計事務所を覗いて見ました。家を二軒見学したら、ガレージを割って黄色、オレンジ、薄茶の色が塗ってあったり、瓦が洋風で茶色にオレンジ色が混ざったような色、家の中も陽当たり良くて暖かみある、明るくて素敵な家だと思いました。でも私たちから見たら値段が高いから買えません。帰り際に設計屋さんが土地の地図を下さって、梅林と栗林を壊して11件の家を建てる予定の更地を見に行きました。行き止まりなので車の出入りは少ないし、価格が安い、東に梅畑、2人共気に入って早速契約しました。オレンジ色と茶色の洋風な瓦の家が出来ました。うちが一番初めに作り始めたということもあり、1人の大工さんが施行してくれました。庭はありません。花壇だけです。小さな土地なので。姉の教えで家を作っている人達にジュースでいいから持っていくといいのよ、気持ちの問題だけどね、丁寧に作って貰えるのよと言われたので、私たちも家が少しずつできていくのが楽しみで施行士さん達にジュースを毎度渡しました。引越した時はとても嬉しかったです。

躁状態の恐ろしさと対処


それは新しい薬になってから3日経った頃、主人が夜遅くにネットを見ると言い出して
ヤバイ雰囲気がしたので、もう明日にして寝ようと言いました。主人がいきなり激怒して
パソコンを拳骨で思い切り叩きました。殺されると恐怖で違う部屋にパソコンを持って逃げましたが、主人はハンマーを持ち出してピクニック用のプラスチックのコンパクトテーブルをたたき割り、この世にパソコンが無ければ良いんだ。パソコンを出せ、壊すと怒鳴り散らす。私の悲鳴と主人の怒鳴り声は近所中に響き渡ったでしょうね。その後朝まで待ち、医師に電話して報告すると、危険性がある時は避難しなさい。女性のDV避難センターが良いと教えてくれました。そして診察を受けると医師はジブレキサを落ち着くまで1日4錠まで処方しました。それで収まらなければ入院。2日目には落ち着いて医師の元で通院治療です。それからしばらくして主人がエビリファイが上がりすぎて興奮するというのでエビリファイをカットしました。大人しくなったら今度は、泣く、生きている意味が無いと言う、夜は少し元気になる、医師はうつ状態ではない。病気の波だから気力が上がるのを待ちましょうと仰いました。しかしずっと泣くのでジブレキサ1日2錠追加されました。あの恐ろしい躁状態を抑えたジブレキサなので私も安心していたのですが、一週間もしないうちに、車のタイヤが欲しいと言い出し、いちいち私に突っかかるのです。また躁状態です。医師はジブレキサを中止、薬は私が管理して正確に飲ませるように指示しました。私は医師にジブレキサで躁状態は治まったのに何故、同じ薬で躁状態になるのですか?と質問すると医師は病気の波はそんな簡単なことではないのです。もしそうならば
もう、とっくに治っているんですと答えました。複雑な脳の病気なのです。
そんな中で一つだけ望みがあったのは主人が物忘れが無くなっていました。あれ程記憶が定着しなかったのに、もう私が探すことはほとんどなくなりましたし浪費も無くなり、節約生活が出来るようになりました。月に何度か少しずつディケアにも行く様になりました。

躁鬱病の主人の症状


躁鬱病(双極性感情障害)になってから物忘れが非常に多くなりました。しょっちゅうあれがない、これがない、探すのはいつも私です。メモするにも記憶が定着しないのです。昨日から一週間前の会話とか出来事とかも、印象的な事でも覚えていない。仕事も昨日できたのに今日は思い出せない。本人は不安が溜まってストレスで吐いたり、そんな毎日が続きました。ただ、見た目は全く正常に会話も車の運転も出来るので他の人からは健常者に見えます。しかし躁状態になった時は攻撃するのは私だけです。第三者には温厚な態度です。さっきは悪かったと誤ったりするので油断してたから後悔する事が多いです。関西ではエビリファイ、ジプレキサ、安定剤、睡眠薬等、その時の症状に合わせて飲んてましたが回復しませんでした。
今の主治医に躁鬱病の混合型だと言われて、少し分かった気もします。今までと違う薬の処方になり、今年1月から躁鬱病の波を小さくする薬を試すことになり、しかしエビリファイかジプレキサのどちらか止めなければいけないとのことになりジブレキサをカットしました。まだ主人の躁状態は続いていて、ネットや車の部品等買い物や車を乗り回すのでガソリン代も15000円程で、私たちは無職なので困ると注意しても喧嘩になるだけで、
医師に相談するとインターネットで買い物なんてとんでもない、奥さんの管理の元でネットは見る事と強く言われて主人も納得しましたが、ある日大変なことになりました。つづく