ponbooのブログ

夫婦二人で障害者年金で生活

後見代理人

主人の後見代理人をしています。平成18年 シボレーを買うと言い出して市役所の無料相談弁護士さんに相談に行くと家庭裁判所に行って私が主人の後見代理人になれば主人の
買った物を返すことができる。と教えて頂きました。シボレーは買われてしまいましたがただし裁判所が代行するのではなく私が交渉するのです。後見代理人になるまで戸籍謄本、法務局や例えば家の土地面積、家の何広さを明記した書類、生命保険の証書のコピー 通帳コピー 医師の診断書等々全ての書類を提出して後見代理人になりました。主人は保証人になれないし、家の登記簿謄本を持ち出して借金するとかできません。毎年8月に家庭裁判所に書類の提出をするのですが、私の通帳から主人の通帳に送金することはいいのですが、逆の場合、主人の通帳から私の通帳に送金したらダメなんです。横領という事になるのです。書類は非常に細かくて全ての通帳コピー下ろしたお金を何に使ったか?収入から預貯金を引いた額と毎月の収支が合わないといけない。領収書を提出する、2、3か月前から真剣に始めますがとても疲れます。もし私のやり方を裁判官がOKしなければ第三者に貢献代理人を任せるのですが通帳も暗証番号も教えて現金だけを渡して貰う生活になります。その上月一万円を支払い尚且つ買った物を返す時には手数料が発生します。その金額は不明です。それでビクビクしながら貢献代理人をしています。一生続くのかと思うと嫌なんだけど主人の病気がある限り逃げられないです。これは本来ならしなくていい苦労だと思います。

泣く主人

退職してから 毎日主人は泣くんです。涙と共に声を出して泣くんです。
長期休暇命令が出て 社員である限り8万ほど社会保険料厚生年金料等々
会社に支払うことになるし、その上生活費を考えたら1年で貯金が無くなる
私は後で後悔するなら社会復帰をするべきだと強く押しましたが、主人は
関東の自分の家に帰り退職金を貰ったほうがいい。このままじゃ破産する。
次の日は引越しやさんに何軒も見積もりをしてもらい、引越しを決めました。
その時の私の心情は言葉で言うのが難しいですが、不安、動揺、悪い夢の中なら
早く覚めて...何かが終わった。ただ家があるのが救いでした。家がなかったら
どうしただろう?まだ関西にいたかも知れない。家に帰りとりあえず前の医師に受診して
貰えば何とか生きることができるかもしれない。藁にも縋る思いでした。
私は毎日胸が苦しくて矢が刺さったように胸が痛いのです。
医師は例え東京勤務でもう元のようにフルタイムで仕事して出張するような前の状態に
は戻れない。障害者年金をもらいながら障害者雇用を目指すべきと告げました。
辛い忠告ですが現実を受け止めるしかありませんでした。
主人は病気でだるい 学生時代はラグビー スキー モトクロスバイク等 あの元気な自分は何処に行ったんだろう。病気じゃなければ転職するのに、こんな身体要らない。
そう言って泣くんです。横に居る私は辛いです。死んだら楽だと思う時もあります。でも死ぬの恐いです。今は何があっても生きていたいと思います。



旦那の病歴と別居のこと

それからしばらく離婚の意思を伝えましたが主人は私がいないと生きていても仕方ないもう一度やり直してくださいと言いました。両親は主人のお金が欲しかったのです。
入院費もいえのローンも主人の食費まで私の貯金から出してました。両親は私に主人を渡すべく必死に懇願、散々嫁いびりしたくせに、何様?仕方なくもう一度やり直すことになりました。主人は社会復帰したくて必死でした。今の医師は余り患者さんを増やさず、第一月曜日に電話が繋がった人だけ看るという特殊な方法でした。運良く電話が繋がり治療が始まりました!薬を全て変えて主人はディケアに通い初めて落ち着いて来ました。
アメリカではこの薬を飲むからと当時新しい薬が当たり、会社から関西転勤で社会復帰することになりました。初めは順調に行ったので私の苦労もやっと報われた。嬉しかった。
しかし2年も経つと仕事は休みがち早退がめだつようになりました。関西の医師は躁鬱病
に詳しくはなかったようです。沢山の薬を出して自分の体調に合わせて飲んで下さいという治療で躁状態を見抜けぬ医者でした。軽いうつ病ならそれでも何とかなるけれど、主人は毎日私に電話で今こんな症状が辛いから医師に相談してというので毎日のように医師と電話で話しをしたり、主人が病院に行ったり、少しずつでも良くなっていれば希望も持てたけれども、仕事早退してインターネットで買い物、夜中に車を触る等めちゃくちゃでした。一見普通に見えるから医師は会社に行きたくないのだろう。仕事に這ってでも行きなさいの一点張りでした。関西に行って6年後 長期休暇命令が出ていえに帰り前の医師に相談すると仕事にいけないのは病気の波だと教えられ、元のように働けないから将来的に楽な仕事に就けるようにしなさい。転勤はダメだと強く言われて2017年1月退職して現在の状況に至ります。まだまだ お先真っ暗のトンネルの中です。